定本詩集 吉本隆明より
自分用として非公開にしてましたが、今しばらく公開にしておきます。吉本さんは今風の著作権という意味では、他者のはともかく自分は発表したら無関係。もともと自分の海賊版が多かったと言ってましたことに免じてもらって。転移のための十篇などです。転移のための十篇は、孤立して戦う大人の詩でした。ぼくは中高生のころよくわからず、むしろエリアンの手記や日時計編などナルシシズムのただよう詩を偏愛してました。
昏い冬
風がくろい街角を吹くとき
恐慌の予告をしてあるく
くらい くらい 冬
自殺しそこなつたぼくたちの希望よ
まだぼくたちはそれにすがつて
生きてゆく義務をもつてゐる
絶望のほうが
はるかに近くみえるとき
樹木の葉が枯れておちるとき
ぼくたちはいつたいどの方向へ
あるいてゐるのか
銀行はいつもぼくたちのうしろで扉を開き
鉄鋼カルテルはぼくたちの安定を
保証してゐる
けれど
きみも ぼくも
くろい異端
くらい冬の不帰の客だ
責任がぼくたちに苛酷さをくわへ
ぼくたちは殺意をいだいて
ひとびとのこころをつきぬける
けれどぼくたちの殺すべきものは
ぼくたちの関係のなかにしかない
絶望がぼくたちを凍えさせ
ぼくたちはふたたびめぐることのない
季節をめくつてゐるような気がする
そのときいつも
陥落がぼくたちに同情をよせ
通貨がぼくたちを嗤つてゐる
ぼくたちは老いぼれないのに
ぼくたちの皮膚はかはくのである
破滅的な時代へ与へる歌
?T
北からの
風が木の葉をちらし 靴音の下
のほうで つめたい季節がながれる きみと
ぼくとは くらい泡の
やうな眼ざしをかはし そのとき 自由な
枝の高みから 木の葉をふり落してゐる
やうな 二羽の小鳥に
なりたいともおもふ
けれど民衆をえらんだ
ものは 高みへはゆけない 過去とか
未来とかいふ言葉に 魂の
惨劇の記憶をむすびつけ すりけれた靴音
の底で 季節をせきとめる
けつきよく
魂の物語はをはり ぼくたちは
木の葉のやうに 吹き
とばされるのだ
?U
離群病者
とならないために ぼくは
じぶんの傷口から眼をすむけ きみは
皮膚の外側で それを
ふるひおとす このいぢけた
破滅的な季節 きみと
ぼくとは語りあつてはなるぬか
語りあへば
世界は昏くなるばかりか
もう温かい会話はとだへ なしとげ
られない約束は 民衆の手
にわたされてゐる
ぼくたちは
おどろくべき思想をつぶやきながら それを
しなかつた男の印象を
のこすかもしれぬ
?V
季節よ めぐれ
破滅とは礼にかなつた死を
死にそこないの秩序にあたへる儀式だ
もしきみが 葬列についていつたら
やさしい人になれる
もしきみが
死にそこなひに 斧
をふりあげたら
むすうの金切声がおこる
きみよ
ぼくたちが
ねむれば 昏い季節はをはり
世界はもとのままだ
?W
風のなか
に 北からの風をききわけるとき
ぼくたちは未来へ 死者
よりもふかくめざめてゐる 靴音の下
のほうで 墓標がながされ
ちひさな渦のさきに 木の葉の
やうに吹きよせられる きみと
ぼくとは
隔てられた世界のなかで
生者の視線を さがし
もとめる
約束をしよう ひとりで
ゐたら ぼくたちは死んでゐる
だらうと もし
みんなとゐたら
生きてゐるだらうと
少年期
くろい地下道へはいつてゆくように
少年の日の挿話へはいつてゆくと
語りかけるのは
見しらぬ駄菓子屋のおかみであり
三銭の屑せんべいに固着した
記憶である
幼友達は盗みをはたらき
橋のたもとでもの思ひにふけり
びいどろの石あてに賭けた
明日の約束をわすれた
世界は異常な掟てがあり 私刑があり
仲間外れにされたものは風に吹きさらさ
かれらはやがて
団結し 首長をえらび 利権をまもり
近親をいつくしむ
仲間外れにされたものは
そむき 愛と憎しみをおぼえ
魂の惨劇にたえる
みえない関係がみえはじめたとき
かれらは深く訣別している
不服従こそは少年の日の記憶を解放する
と語りかけるとき
ぼくは掟てにしたがつて追放されるのである
異数の世界へおりてゆく
異数の世界へおりてゆく かれは名残り
をしげである
のこされた世界の少女と
ささいな生活の秘密をわかちあはなかつたこと
なほ欲望のひとかけらが
ゆたかなパンの香りや 他人の
へりくだつた敬礼
にかわるときのかはるときの快感をしらなかつたことに
けれど
その世界と世界との袂れは
簡単だつた くらい魂が焼けただれた
首都の瓦礫のうへで支配者にむかつて
いやいやをし
ぼろぼろな戦災少年が
すばやくかれの財布をかすめとつて逃げた
そのときかれの世界もかすめとられたのである
無関係にうちたてられたビルデイングと
ビルデイングのあひだ
をあみめのやうにわたる風も たのしげな
群衆 そのなかのあかるい少女
も かれの
こころを掻き鳴らすことはできない
生きた肉体 ふりそそぐやうな愛撫
もかれの魂を決定することができない
生きる理由をなくしたとき
生き 死にちかく
死ぬ理由をもとめてえられない
かれのこころは
いちはやく異数の世界へおりていつたが
かれの肉体は 十年
派手な群衆のなかを歩いたのである
秘事にかこまれて胸を
ながれるのはなしとげられなかもしれないゆめ
飢えてうらうちのない情事
消されてゆく愛
かれは紙のうへに書かれるものを耻ぢてのち
未来へ出で立つ
挽歌
服部達を惜しむ
きみは証せ
或る死が 或る時ちいさな希望
かもしれない理由を
よせあう頬と喰べるパンが
なくなつたのではない
洗つた髪が脱けおちたのでもない
駈けつけた電話口が拒んだのでもない
しずかな しずかな死が希望
かもしれない理由を
きみの失踪は昨日
揺れるこころできめられた きみは
ほんとの虚栄とほんとの絶望のあいだで
ほんとの涙と
うその弔辞を拒んで去つた
肌ざむいきみの衣裳に
夕陽は やさしく消え
風は 君の魂を
背丈よりもひくく眠らせた
きみは
時代が 眠りを拒み 毒死を惜んで
ちいさなノートの余白に
のこした約束をみつけられなかつたか
戦火にさらされ
戦火によつて死にそこなつたものに
無償の死は
いつもあこがれだつた きみは
おぼえているか
かつてわれらの最後のイメージが
硝煙と業火のなかで描かれたことを
きみの
荒涼とした論理には
はにかんだ空白があつた いまそれは
ひとすぢの真昼の夢のように
われらの
たたかうべき果てに合流する
悲歌
きみは一九五三年秋
追われて巷の雑踏のなかにきえた
かれは一九五〇年夏
傷ついて戦列からはなれた
平和のなかのたたかいの死者よ
昨日と今日の澄んだ空のした
黒い帯のようにながれる群衆がふと
路にたちどまつて
じぬんといつしよに衰えてきた時と人間を
運命のかたちでおもつたとき
きみたちは其処にいなかつた
すでに昨日の昨日
酷吏ににた冬の風に追いまくられ
あたりにただよう憎悪や疑惑をさむいなあ
とかんじながら
ひとりひとりひき剥されて
眼にみえない街へ
とおざかつていつた
理解はいつも侮蔑の眼ざいににている
無関心はいつもとざされた幸せのようにとおざかる
たとえひとりが薄く架けられた慕情の橋のこちら側で
還らないかもしれない出発を見送つたとしても
きみたちはふりむかなかつた
あの世界の愛は
きみたちを追うにひとしい
ことばもなく おこないもなく
うずくまつたところで宿泊し
妄想をはらいのけるほどの仕種をして
時は過ぎていつた
きみたちは生きた
いくぶんか墓地ににた蔭の世界で
花のさかない雨のペイヴメントで
ちからのない微笑ににた陽のかげの下で
ふと風にふかれる枯草の夢のなかで
うとまれた記憶のさびしさで
あざむかれた傷口の
ざくろのような裂け目をなでて
きみたちは生きた
どうしたらにんげんを信じられるかを
じぶんに問いながら
はてしない繰言のように迫る
疑惑とむかいあつて
壁よりもふかい孤独の壁
屋根よりもおおう侮蔑の屋根の下で
けれどけれど
平和のなかのたたかいの死者よ
束の間にかわるものは きみたちの骨を
碑にすることができなかつた
うそざむい文字によつてさえ きみたちの
名を録することはできなかつた
あざむかれたあとで茫然とみている
群衆の平安をくぐり捨て
ちいさないさかいとくらしの底にしずみ
ひとつの孤独 ひとつの妄想
あやふく耐えられた愛
昏い冬
風がくろい街角を吹くとき
恐慌の予告をしてあるく
くらい くらい 冬
自殺しそこなつたぼくたちの希望よ
まだぼくたちはそれにすがつて
生きてゆく義務をもつてゐる
絶望のほうが
はるかに近くみえるとき
樹木の葉が枯れておちるとき
ぼくたちはいつたいどの方向へ
あるいてゐるのか
銀行はいつもぼくたちのうしろで扉を開き
鉄鋼カルテルはぼくたちの安定を
保証してゐる
けれど
きみも ぼくも
くろい異端
くらい冬の不帰の客だ
責任がぼくたちに苛酷さをくわへ
ぼくたちは殺意をいだいて
ひとびとのこころをつきぬける
けれどぼくたちの殺すべきものは
ぼくたちの関係のなかにしかない
絶望がぼくたちを凍えさせ
ぼくたちはふたたびめぐることのない
季節をめくつてゐるような気がする
そのときいつも
陥落がぼくたちに同情をよせ
通貨がぼくたちを嗤つてゐる
ぼくたちは老いぼれないのに
ぼくたちの皮膚はかはくのである
破滅的な時代へ与へる歌
?T
北からの
風が木の葉をちらし 靴音の下
のほうで つめたい季節がながれる きみと
ぼくとは くらい泡の
やうな眼ざしをかはし そのとき 自由な
枝の高みから 木の葉をふり落してゐる
やうな 二羽の小鳥に
なりたいともおもふ
けれど民衆をえらんだ
ものは 高みへはゆけない 過去とか
未来とかいふ言葉に 魂の
惨劇の記憶をむすびつけ すりけれた靴音
の底で 季節をせきとめる
けつきよく
魂の物語はをはり ぼくたちは
木の葉のやうに 吹き
とばされるのだ
?U
離群病者
とならないために ぼくは
じぶんの傷口から眼をすむけ きみは
皮膚の外側で それを
ふるひおとす このいぢけた
破滅的な季節 きみと
ぼくとは語りあつてはなるぬか
語りあへば
世界は昏くなるばかりか
もう温かい会話はとだへ なしとげ
られない約束は 民衆の手
にわたされてゐる
ぼくたちは
おどろくべき思想をつぶやきながら それを
しなかつた男の印象を
のこすかもしれぬ
?V
季節よ めぐれ
破滅とは礼にかなつた死を
死にそこないの秩序にあたへる儀式だ
もしきみが 葬列についていつたら
やさしい人になれる
もしきみが
死にそこなひに 斧
をふりあげたら
むすうの金切声がおこる
きみよ
ぼくたちが
ねむれば 昏い季節はをはり
世界はもとのままだ
?W
風のなか
に 北からの風をききわけるとき
ぼくたちは未来へ 死者
よりもふかくめざめてゐる 靴音の下
のほうで 墓標がながされ
ちひさな渦のさきに 木の葉の
やうに吹きよせられる きみと
ぼくとは
隔てられた世界のなかで
生者の視線を さがし
もとめる
約束をしよう ひとりで
ゐたら ぼくたちは死んでゐる
だらうと もし
みんなとゐたら
生きてゐるだらうと
少年期
くろい地下道へはいつてゆくように
少年の日の挿話へはいつてゆくと
語りかけるのは
見しらぬ駄菓子屋のおかみであり
三銭の屑せんべいに固着した
記憶である
幼友達は盗みをはたらき
橋のたもとでもの思ひにふけり
びいどろの石あてに賭けた
明日の約束をわすれた
世界は異常な掟てがあり 私刑があり
仲間外れにされたものは風に吹きさらさ
かれらはやがて
団結し 首長をえらび 利権をまもり
近親をいつくしむ
仲間外れにされたものは
そむき 愛と憎しみをおぼえ
魂の惨劇にたえる
みえない関係がみえはじめたとき
かれらは深く訣別している
不服従こそは少年の日の記憶を解放する
と語りかけるとき
ぼくは掟てにしたがつて追放されるのである
異数の世界へおりてゆく
異数の世界へおりてゆく かれは名残り
をしげである
のこされた世界の少女と
ささいな生活の秘密をわかちあはなかつたこと
なほ欲望のひとかけらが
ゆたかなパンの香りや 他人の
へりくだつた敬礼
にかわるときのかはるときの快感をしらなかつたことに
けれど
その世界と世界との袂れは
簡単だつた くらい魂が焼けただれた
首都の瓦礫のうへで支配者にむかつて
いやいやをし
ぼろぼろな戦災少年が
すばやくかれの財布をかすめとつて逃げた
そのときかれの世界もかすめとられたのである
無関係にうちたてられたビルデイングと
ビルデイングのあひだ
をあみめのやうにわたる風も たのしげな
群衆 そのなかのあかるい少女
も かれの
こころを掻き鳴らすことはできない
生きた肉体 ふりそそぐやうな愛撫
もかれの魂を決定することができない
生きる理由をなくしたとき
生き 死にちかく
死ぬ理由をもとめてえられない
かれのこころは
いちはやく異数の世界へおりていつたが
かれの肉体は 十年
派手な群衆のなかを歩いたのである
秘事にかこまれて胸を
ながれるのはなしとげられなかもしれないゆめ
飢えてうらうちのない情事
消されてゆく愛
かれは紙のうへに書かれるものを耻ぢてのち
未来へ出で立つ
挽歌
服部達を惜しむ
きみは証せ
或る死が 或る時ちいさな希望
かもしれない理由を
よせあう頬と喰べるパンが
なくなつたのではない
洗つた髪が脱けおちたのでもない
駈けつけた電話口が拒んだのでもない
しずかな しずかな死が希望
かもしれない理由を
きみの失踪は昨日
揺れるこころできめられた きみは
ほんとの虚栄とほんとの絶望のあいだで
ほんとの涙と
うその弔辞を拒んで去つた
肌ざむいきみの衣裳に
夕陽は やさしく消え
風は 君の魂を
背丈よりもひくく眠らせた
きみは
時代が 眠りを拒み 毒死を惜んで
ちいさなノートの余白に
のこした約束をみつけられなかつたか
戦火にさらされ
戦火によつて死にそこなつたものに
無償の死は
いつもあこがれだつた きみは
おぼえているか
かつてわれらの最後のイメージが
硝煙と業火のなかで描かれたことを
きみの
荒涼とした論理には
はにかんだ空白があつた いまそれは
ひとすぢの真昼の夢のように
われらの
たたかうべき果てに合流する
悲歌
きみは一九五三年秋
追われて巷の雑踏のなかにきえた
かれは一九五〇年夏
傷ついて戦列からはなれた
平和のなかのたたかいの死者よ
昨日と今日の澄んだ空のした
黒い帯のようにながれる群衆がふと
路にたちどまつて
じぬんといつしよに衰えてきた時と人間を
運命のかたちでおもつたとき
きみたちは其処にいなかつた
すでに昨日の昨日
酷吏ににた冬の風に追いまくられ
あたりにただよう憎悪や疑惑をさむいなあ
とかんじながら
ひとりひとりひき剥されて
眼にみえない街へ
とおざかつていつた
理解はいつも侮蔑の眼ざいににている
無関心はいつもとざされた幸せのようにとおざかる
たとえひとりが薄く架けられた慕情の橋のこちら側で
還らないかもしれない出発を見送つたとしても
きみたちはふりむかなかつた
あの世界の愛は
きみたちを追うにひとしい
ことばもなく おこないもなく
うずくまつたところで宿泊し
妄想をはらいのけるほどの仕種をして
時は過ぎていつた
きみたちは生きた
いくぶんか墓地ににた蔭の世界で
花のさかない雨のペイヴメントで
ちからのない微笑ににた陽のかげの下で
ふと風にふかれる枯草の夢のなかで
うとまれた記憶のさびしさで
あざむかれた傷口の
ざくろのような裂け目をなでて
きみたちは生きた
どうしたらにんげんを信じられるかを
じぶんに問いながら
はてしない繰言のように迫る
疑惑とむかいあつて
壁よりもふかい孤独の壁
屋根よりもおおう侮蔑の屋根の下で
けれどけれど
平和のなかのたたかいの死者よ
束の間にかわるものは きみたちの骨を
碑にすることができなかつた
うそざむい文字によつてさえ きみたちの
名を録することはできなかつた
あざむかれたあとで茫然とみている
群衆の平安をくぐり捨て
ちいさないさかいとくらしの底にしずみ
ひとつの孤独 ひとつの妄想
あやふく耐えられた愛
少女
少 女
吉本隆明
えんじゅの並木道で 背をおさえつける
秋の陽なかで
少女はいつわたしとゆき遇うか
わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには
きつとわたしがみえない
すべての明るいものは盲目とおなじに
世界をみることができない
なにか昏(くら)いものが傍をとおり過ぎるとき
彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい
裏ぎられた生活かとおもう
けれど それは
わたしだ
生れおちた優しさでなら出遇えるかもしれぬと
いくらかはためらい
もっとはげしくうち消して
とおり過ぎるわたしだ
小さな秤でははかれない
彼女たちのこころと すべてたたかいを
過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を
喰べて過酷にならない夢を
彼女たちは世界がみんな希望だとおもつているものを
絶望だということができない
わたしと彼女たちは
ひき剥される なぜなら世界は
少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで
求愛の贈物のように それがすべてだそれが
みんなだとうそぶくから そして
わたしはライバルのように
世界を憎しむというから
(『吉本隆明詩集より』)
吉本隆明 転位のための十篇
自分用として非公開にしてましたが、今しばらく公開にしておきます。吉本さんは今風の著作権という意味では、他者のはともかく自分は発表したら無関係。もともと自分の海賊版が多かったと言ってましたことに免じてもらって。転移のための十篇などです。転移のための十篇は、孤立して戦う大人の詩でした。ぼくは中高生のころよくわからず、むしろエリアンの手記や日時計編などナルシシズムのただよう詩を偏愛してました。
転位のため十篇
火の秋の物語
――あるユウラシヤ人にーー
ユウジン その未知なひと
いまは秋でくらくもえてゐる風景がある
きみのむねの鼓動がそれをしつてゐるであらうとしんずる根拠がある
きみは廃人の眼をしてユウラシヤの文明をよこぎる
きみはいたるところで銃床を土につけてたちどまる
きみは敗れさるかもしれない兵士たちのひとりだ
じつにきみのあしおとは昏いではないか
きみのせおってゐる風景は苛酷ではないか
空をよぎるのは候鳥のたぐひではない
鋪路(ペイヴメント)をあゆむのはにんげんばかりではない
ユウジン きみはソドムの地の最後のひととして
あらゆる風景をみつづけなければならない
そしてゴモラの地の不幸を記憶しなければならない
きみの眼がみたものをきみの女にうませねばならない
きみの死がきみに安息をもたらすことはたしかだが
それはくらい告知でわたしを傷つけるであらう
告知はそれをうけとる者のかはからいつも無限の重荷である
この重荷をすてさるために
くろずんだ運河のほとりや
かつこうのわるいビルデイングのうら路を
わたしがあゆんでゐると仮定せよ
その季節は秋である
くらくもえてゐる風景のなかにきた秋である
わたしは愛のかけらすらなくしてしまつた
それでもやはり左右の足を交互にふんであゆまねばならないか
ユウジン きみはこたえよ
こう廃した土地で悲惨な死をうけとるまへにきみはこたへよ
世界はやがておろかな賭けごとのをはつた賭博場のやうに
焼けただれてしづかになる
きみはおろかであると信じたことのために死ぬであらう
きみの眼はちひさないばらにひつかかつてかはく
きみの眼は太陽とそのひかりを拒否しつづける
きみの眼はけつして眠らない
ユウジン それはわたしの火の秋の物語である (1951.10)
初出昭和27年六月一日『大岡山文学』(第八十八号) 逸見明
分裂病者
不安な季節が秋になる
そうしてきみのもうひとりのきみはけつしてかへつてこない
きみははやく錯覚からさめよ
きみはまだきみが女の愛をうしなつたのだとおもつてゐる
おう きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
きみはそのちひさな腕でひとりの女をではなく
ほんたうは屈辱にしづんだ風景を抱くことができるか
きみは火山のやうに躓き噴きだす全世界の革命と
それをとりまくおもたい気圧や温度を
ひとつの加担のうちにとらへることができるか
きみのもうひとりのきみはけつしてかへつてこない
かれはきみからもち逃げした
日づけのついた擬牧歌のノートと
女たちの愛ややさしさと
睡ることの安息と
秩序や神にたいする是認のこころと
狡猾なからくりのおもしろさと
ひものついた安楽と
ほとんど過去の記憶のぜんぶを
なじめなくなつたきみの風景が秋になる
きみはアジアのはてのわいせつな都会で
ほとんどあらゆる屈辱の花が女たちの慾望のあひだからひらき
街路をあゆむのを幻影のやうにみてゐる
きみは妄想と孤独とが被害となつておとづれるのをしつてゐる
きみの葬列がまへとうしろからやつてくるのを感ずる
きみは廃人の眼で
どんな憎悪のメトロポオルをも散策する
きみはちいさな恢復とちひさな信頼をひつようとしてゐると
医師どもが告げるとしても
信じなくていい
きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
にんげんのおほきな雪崩にのつてやがて冬がくる
きみの救済と治療とはそれをささえることにかかつてゐる
きみのもうひとりのきみはけつしてかへつてこない
きみはかれが衝げき器のヴオルテイジによつてかへると信ずるか
おう それを信じまい
きみの落下ときみの内閉とは全世界的なものだ
不安な秋を不安な小鳥たちがわたる
小鳥たちの無言はきみの無言をうつしてゐる
ことりたちが凄惨な空にちらばるとき
きみの精神も凄惨な未来へちらばる
あはれな不安な季節め
きみが患者としてあゆむ地球は
アジアのはてに牢獄と風てん病院をこしらへてゐる (1952.11)
初出昭和二十八年五月一日『近代文学』(第八巻第五号)
黙契
おまへのちひさな敗北は
塵芥をながしてゐるうすくらい晨の運河べりで
生活の窮乏や愛のあせた女の背信を
一瞬の泥水のやうにのみくだし
みじめな浮浪人のこころになる
たつたそれだけのことだ
けれどおまへは傷つくにちがひない
それがおまへやおまへの晨をいつそうくらくする
それがおまへの反逆の根つこになりうる
それが絶望の種子をいたるところにうえる
そんな脆いにんげんのこころに
そうしておまへがにんげんにたいして感じてゐるみじめさはほんたうだ
あらゆる正義や反逆の根つこが
あまりたしかでないといふことで
おまへの感じてゐる疑惑や傷手はほんたうだ
地球といふこのおほきな舞台で
富や安定が正義をつくりあげる
ちひさな屈辱がおほきな反抗にかはる
その手品はそれぞれ正当に存在してゐる
けれど手品師はけつしてじぶんの仕掛けに傷ついてみない
おまへは考へることをやめるな
ほとんどあらゆる正義のうつくしさが
公準から見はなされてひさしいといふこと
わたしやおまへがひとつの幸せから遠ざかるとき
幸せのはうもわたしやおまへから遠ざかる医師をもつてゐること
絶対とか神とかが
一瞬を永遠にすりかへようとする手品にすぎず
手品師の悲哀や絶望や貪慾が
そのからくりをささへてゐるのだといふこと
おう だから
おまへもわたしもあまり巧妙でない手品師のひとりだ
そうしてじぶんの演ずる手品の仕掛について
卑怯なパントマイムの俳優の仲間だ
うしろめたい謎がいつも生存の断崖でうかがつてゐる
にんげんの黙契の醜怪な貌が
あらゆる風景のうしろがはにゐる
おまへがおまへのちひさな敗北につまづく晨
わたしはコムプレツクスを病んでゐる
それがわたしたちの屈辱の季節といふものだ
どこにもあまりたしかな理由はないかとかんがえへるおまへと
どこにも値する苦悩はないとしんずるわたしと
とにかくうすくらい飢餓のなかから
それぞれの反抗を結びつけて
あゆみはじめねばならない
おまへはおまへのちひさな敗北を
どこか女たちの畑のなかに排せつする
するとまるでおまへの敗北に歪んだやうな
たんぽぽや菫の花がひらく
おまへはその一九五〇年代の治をたいせつにしなければならぬ
わたしはあらゆる黙契をほじくりかへす
地殻をとりまいてゐる靄のやうなふんゐきをはがしてあるく
おう そしてほとんどたしかに
おまへがいちれつの屈辱の花を育ててゐる
そんな風景がいつしよに露出してくる
絶望から苛酷へ
ぼくたちは肉体をなくして意志だけで生きてゐる
ぼくたちは亡霊として十一月の墓地からでてくる
ぼくたちのそらは遠くまで無言だ
ぼくたちの空のしたは遠くまで苛酷だ
うたふことのできないぼくたちの秋よ
うたふことを変へてゆくぼくたちのこころよ
ぼくたちが生きてゐることだけでぼくたちの同胞はくらい
ぼくたちが死なないことだけでぼくたちの地球は絶望的な場処だ
そうしてぼくたちは生きてゐる理由をなくしてゐることだけで
同胞と運命をつないでゐる
ぼくたちは愛をうしなつたときぼくたちの肉体をうしなつた
ぼくたちが近親憎悪を感じたとき
同胞はぼくたちの肉体を墓地に埋めた
おう いちまいの風だけが
ぼくたちの肉体に秋から冬への衣裳を着せかける
ぼくたちの肉体は風と相姦する
ふごのやうに
からすの啼きかはす墓地から
ぼくたちは亡霊となつてでてくる
ぼくたちの衣裳はかはつてゐる
ぼくたちの視る風景はくろずんでゐる
屈辱のはんぶんはぼくたちの土地から生れてそこにある
屈辱のあとのはんぶんはダビデの子から遺伝してそこにある
ぼくたちはいまもむかしのやうに労働を強ひられ
鎖をたちきるために反逆をかくまつてゐる
ぼくたちの空はやがて語りはじめ
ぼくたちの空のしたはやがて抗争するだらう
ぼくたちの都市は波うち際までせまり
ぼくたちの工場地帯は海にむかつて炭煙をはき出す
そうして生きてきたことがぼくたちを変へなかつたやうに
海はその色と運搬をつづける
ぼくたちの屈辱はみのり はじけ 枯れる
つぎにぼくたちはあかるい街々で死ぬだらう
おう 未来のむげん都市と生産地帯から
ぼくたちの屈辱とぼくたちの絶望は発掘されるか
そのときあかるさがにんげんを変へ
ぼくたちの遺伝子はぼくたちの屈辱を忘れる
ぼくたちの絶望は意味を拒絶される
反逆と加担とのちがひによつて
ぼくたちの屍はむちうたれるだらう
ふたたび死のちかくにゐる季節よ
ぼくたちの分離性の意志が塵埃にまみれて生きてゐる
労働は無言であり刑罰である
未来のことがなにひとつ視えないとき
ぼくたちの労働はしひられた墓掘りである
ぼくたちの疲労のほかにぼくたちをたしかめる手段はない
苛酷はまるで呼吸のやうに切迫する
遠くまで世界はぼくたちを檻禁してゐる
(未完)
その秋のために
まるい空がきれいに澄んでゐる
鳥が散弾のやうにぼくのはうへ落下し
いく粒かの不安にかはる
ぼくは拒絶された思想となつて
この済んだ空をかき撩さう
同胞はまだ生活のくるしさのためぼくを容れない
そうしてふたつの腕でわりのあはない困窮をうけとめてゐる
もしもぼくがおとづれてゆけば
異邦の禁制の思想のやうにものおぢしてむかへる
まるで猥画をとり出すときのやうにして
ぼくはなぜぼくの思想をひろげてみせねばならないか
ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ
きみたちはいつぱいの抹茶をぼくに施せ
ぼくはいくらかのせんべいをふところからとり出し
無言のまま聴かうではないか
この不安な秋がぼくたちに響かせるすべての音を
きみたちはからになつた食器のかちあふ音をきく
ぼくはいまも廻転してゐる重たい地球のとどろきをきく
それからぼくたちは訣れよう
ぼくたちのあひだは無事だつたのだ
そうしてぼくはいたるところで拒絶されたとおなじだ
破局のまへのくるしさがどんなにぼくたちを結びつけたとしても
ぼくたちの離散はおほく利害に依存してゐる
不安な秋のすきま風がぼくのこころをとほりぬける
ぼくは腕と足とをうごかして糧をかせぐ
ぼくのこころと肉体の消耗所は
とりもなほさず秩序の生産工場だ
この仕事場からみえるあらゆる風と炭煙のゆくへは
ほとんどぼくを不可解な不安のはうへつれてゆく
ここからはにんげんの地平線がみへない
ビルデイングやショーウヰンドがみえない
おう しかもぼくはなにも夢みはしない
ぼくを気やすい隣人とかんがへてゐる働き人よ
ぼくはきみたちに近親憎悪を感じてゐるのだ
ぼくは秩序の的であるとおなじにきみたちの敵だ
きみたちはぼくの抗争にうすら嗤ひをむくい
疲労したもの腰でドラム罐をころがしてゐる
きみたちの家庭でぼくは馬鹿の標本になり
ピンで留められる
ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない
ぼくは同胞のあひだで苦しい孤立をつづける
ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ
ぼくを温愛でねむらせようとしても無駄だ
きみたちのすべて肯定をもとめても無駄だ
ぼくは拒絶された思想としてその意味のために生きよう
うすくらい秩序の階段を底までくだる
刑罰がをはるところでぼくは睡る
破局の予兆がきつとぼくを起しにくるから
ちひさな群への挨拶
あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
冬は背中からぼくをこごえさせるから
冬の真むかうへでてゆくために
ぼくはちひさな微温をたちきる
をはりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
ぼくががいろへほうりだされたために
地球の脳髄は弛緩してしまふ
ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させたいために
冬は女たちをとおざける
ぼくは何処までゆかうとも
第四級の風てん病院をでられない
ちひさなやさしい群よ
昨日までかなしかつた昨日までうれしかつたひとびとよ
冬は二つの極からぼくたちを緊めあげる
そうしてまだ生れないぼくたちの子供をけつして生れないやうにする
こわれやすい神経をもつたぼくの仲間よ
フロストの皮膜のしたで睡れ
そのあひだにぼくは立去らう
ぼくたちの味方は破れ
戦火が乾いた風にのつてやつてきさうだから
ちひさなやさしい群よ
苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
ぼくは何をしたらう
ぼくの脳髄はおもたく ぼくの方は疲れてゐるから
記憶といふ記憶はうつちやらなくてはいけない
みんなのやさしさといつしょに
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むかうへ
ひとりつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずつと以前のぶんまでとりかへすために
すでにいらんくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群よ
みんなは思ひ出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇ふために
ぼくはでてゆく
無数の敵のだまん中へ
ぼくはつかれてゐる
がぼくの瞋りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす
だから ちひさなやさしい群よ
みんなのひとつひとつの貌よ
さやうなら
廃人の歌
ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時の街で ぼくの考へてゐることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ ぼくの休暇はもう数刻でをはる ぼくはそれを考へてゐる 明日は不眠のまま労働にでかける ぼくはぼくのこころがゐる¥ないあひだに 世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものたちは赦すものたちだ 神はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひよつとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがひない 幸せはそんなところにころがつてゐる たれがじぶんを無惨と思はないで生きえたか ぼくはいまごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうつたえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはまだとく名の背信者である ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでゐる 街は喧噪と無関心によつてぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お訣れだ
ぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしつてゐるのに 沈黙をまもつてゐるのがゆいつのとりえである患者ださうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい 生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間で ぼくの好きなやつは三人はゐる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる
死者へ瀕死者から
広場と濠ばたと街路で
銃眼に射ぬかれた死者よ
風のやうにまきあがつた塵埃につつまれて屍をよこたへた
死者よ
腐敗した都会の五月の風とおほきなフイナンツの生きた手足が
いつものはれあがつた空のしたできみたちを死におくつたのである
きみたちは死霊となつて
いまも街角で視ることができる
貨車(ワゴン)のうへの装甲車や砲が
なんの礼儀もなく疾走してゆくのを
またをはることのない群衆の帽子が
ひとつひとつビルデイングのなかに消えてゆくのを
またそのとき教会堂の鐘が鳴り
天候旗が
晴ときどき曇りの信号をあげてゐるのを
大戦のあとでじぶんの意志をつくりあげ
女たちの愛のかはりに 反逆の思想をえらんだ
ゆめは迅速で
非議はするどく
なけなしの微温をつきやぶつて
きみたちはいつてしまつた
いまも秩序のおとしあなのあひだで
きみたちは永遠に抗争する者だ
うす汚れた風がきみたちの霊を訪問する
そのあとからちんばをひいたぼくの思想がおとづれる
きみたちの霊を眠らせないために
いまもぼくたちの都会は奴隷的で
理由もなく飢えるものと
インフエリオリテイ・コムプレツクスを病むものと
分裂症的愛憎にからみあふものと
あらゆる偽まんのうへで
戦争をチヤンスのようにうかがふものとが
あひかはらずはき溜めのやうに生きてゐる
おう そしてぼくは
瀕死者であるのに死者たちの安息をもたない
奴隷的な街の腰のあたりで
運河が汚物をうかべてゐる
銀行が蟲様突起のやうに
ひとびとの秘された惨苦をつきさしてゐる
あらゆるものへの訣別を
脳髄が示唆するときでも
ぼくの不幸は風景に鎖のやうにつながれてゐる
めをさませ 死者たちよ
きみたちの憤死はいまもそのままぼくの憤死だ
午後の日ざしや街路樹の葉のかげから
魔術師のやうに明日の予感がやつてくるが
ぼくはほとんど未来といふやつに絶望だけしかみない
絶望と抗ふためにふたたび加担せよ
ぼくたちの時代に 墓地は惨嗟をあいしてゐない
巨大な一つのむくろと むすうの蘇生をのぞんでゐる
一九五二年五月の悲歌
崩れかかつたあつちこちの窓わくから
薄あをい空を視ている
円けいの荷重をかんじてゐる むすうの
にんげんの眼
信ずることにおいて過剰でありすぎたのか
ぼくの眼に訣別がくる
にんげんの秩序と愛への むすうの
訣別がくる
銃口は発しやするな
壁や踏みあらされた稗畑を破かいするな
その引金に手をかけるものが秩序であるとき
ぼくはなほちひさな歌をうたへる
ぼくはなほ悲歌をささげることができる
ぼくのゆいつであつた愛や
ぼくをそだててくれた秩序と狡智にむかつて
そうして太陽は五月のあひだを
火焔をつれてめぐり
そのしたで無数の窓のなかのぼくの窓が
黒布をたれてぼくの悲しみを証してゐる
訣別はどこにはじまつたのか
どこにかたちをあらはしたのか
そのとき五月の空は鮮やかに ビルデイングのうへで
血と蒙塵と湿つた風とを噴きあげ ぼくは
みづからに赦さうとした愛の惰性を憎んだ
萠えでる五月の街路樹よ
陰えいを匂ひでわける微かな風よ
屈折したペイヴメントのうへでぼくの予感が視る
箱詰めにあつたぼくの死とぼくの生とを
埋もれてゆくにんげんとにんげんの苦悩とを
生きのこるもおのとその寂しげな象徴とを
もしぼくたちが機械のひとつであると自分を考へうれば
重荷がぼくたちの肩から 未来の肩にうつされる
そのときのぼくたちの安堵を憎む
鉄鎖のなかにきた五月よ
ちがつた方向から志津かな風をよこしてゐる五月よ
ぼくは強ひられた路上に ぼくの影があゆむのを知つてゐる
星のうた 落下のうた 夕べの風のうた
ぼくはぼくの仲間たちに何を告げよう
かれらのゆく路にかれらの草が騒いでゐる
希望をとりかへにぼくをおとづれようとするな
いつもある者は死にあるものは生きてゐる
つまりいつさいの狡智の繁栄するところで
さびしげなことをしようとするな
鉄鎖につながれた五月よ
おもたい積載量をのせてめぐつてきた地球のうへの季節よ
草と蟲と花々のうへに
陽が照り 影が転移する
ぼくはむすうの訣別をそのうへに流す
審判
苛酷がきざみこまれた路のうへに
九月の病んだ太陽がうつる
蟻のやうにちひさなぼくたちの嫌悪が
あなぐらのそこに這ひこんでゆく
黄昏れのはうへ むすうのあなぐらのはうへ
ぼくたちの危惧とぼくたちの破局のはうへ
太陽は落ちてゆくように視える
はじめにぼくたちの路上が 羞耻が ちひさな愛が
つぎにぼくたちの意志が
かげになる
ぼくたちのさてつした魂は役割ををへる
あの悔恨に肉づけすることにつかひ果したこころを
あなぐらのそこに埋没させようとする
しづかに睡るのかあきらかに死ぬのか知らない
ぼくたちのつけくはへた風景は破壊されるのかどうか知らない
ぼくたちの根拠はしだいに荒廃し
ぼくたちの愛と非議と抗争とはみしらぬ星のしたに繋がれる
おう ぼくたちの牢獄
風が温度と気圧とをかへ
戦火と乾いた夜が風景とその視線をかへ
ぼくたちの不幸な感情が女たちのこころをかへ
夕べごとに板のうへで晩餐がひらかれる
いつせいに寂しいぼくたちの地球よ
ぼくたちはいんめつされた証拠のために
盗賊と殺人者の罪状を負はなければならない
いんめつされた証拠を書きあらためるため
ぼくたちの不在をひつようとするものがゐる
そこに奪はれたものと奪はれないものとを
空しくわけようとするぼくたちの眼が繋がれてゐる
ぼくたちは九月の地球を愛するか
おう ぼくたちはそれを愛する
ぼくたちは砲火と貨車(ワゴン)のうへの装甲車をこのむか
おう ぼくたちはそれをこのまない
ぼくたちは記憶と屈辱とになれることができるか
おう ぼくたちはそれになれることができない
ゆくところのないぼくたちの信号よ
とまどふひとびとの優しいこころよ
ぼくたちの路上はいまも見なれてゐてしかも未知だ
どんな可能もぼくたちの視てゐる風景のほかからやつてこない
どんな可能もぼくたちの生を絶ちきることなしにおとづれることはない
ぼくたちはそこで刺し殺さねばならぬ
架空のうたと架空の謀議と
たしかなぼくたちの破局とを
ぼくたちはそこで嗤はねばならぬ
フイナンツの焦慮とその行方とを
おう さびしいぼくたちの法廷
九月の太陽は無言だ
まるでぼくたちの無言のやうに
すべての小鳥たち すべての空のいろも無言だ
ぼくたちはぼくたちの病理を言葉にかへない
ぼくたちはぼくたちの病理を審判にゆだねる
なぜ 美しいものと醜いものとがわけられないか
なぜ 未来の条件のまへに現在を捨てきれないか
なぜ 愛憎をコムプレツクスによつておしつぶすか
なぜ 本能に荒涼たるくびきをかけるか
おう その威厳と法服とを歴史のたどられたプロセスからかりるだらう
ぼくたちの法定者よ
ぼくたちをさばくために嗤ふべき立法によるな
ぼくたちを砂漠ためにけちくさい倫理をもちひるな
ぼくたちはじぶんの無力に伝播性がなく
いつもひとりで窓をこじあけ
九月の空と太陽をみようとするのを知つてゐる
習慣以上のとがつた仕種で
世界のあらゆる異質の思想をののしらうとかまへてゐる
ぼくたちの苛酷な夢のはやさを知つてゐる
ぼくたちのこころはうけいれられないとき
小鳥のやうなはやさでとび去り
そのときぼくたちをとりまいてゐる微温を
つき破つてしまふのを知つてゐる
ぼくたちはすべての審判に〈否〉とこたへるきあもしれない
そうして牢獄の夜が
どんな破局の晨にかはらうとも
ぼくたちはそれに関しないと主張するかも知れない
ぼくたちは支配者からびた一文もうけとらず
もつぱら荒凉や戦火を喰べて生きてきたと主張するかもしれない
転位のための十篇
吉本隆明
昭和二十八年九月一日 私家版
註
この詩集にあつめられた作品のうち、火の秋の物語は大岡山文学八十八号に、一九五二年五月の悲歌はガリ版詩誌斜面(これはぼくの敬愛する大岡山文学の同人がつくつていた)の第二号に、分裂病者は近代文学一九五三年五月号に、それぞれ既発表のものである。詩集の刊行にゆきとどいた神経と善意とを惜みなく与へられた奥野健男安竹了和氏坂本敬親氏をはじめ、敬愛する友人諸氏につつしんで感謝する。
転位のため十篇
火の秋の物語
――あるユウラシヤ人にーー
ユウジン その未知なひと
いまは秋でくらくもえてゐる風景がある
きみのむねの鼓動がそれをしつてゐるであらうとしんずる根拠がある
きみは廃人の眼をしてユウラシヤの文明をよこぎる
きみはいたるところで銃床を土につけてたちどまる
きみは敗れさるかもしれない兵士たちのひとりだ
じつにきみのあしおとは昏いではないか
きみのせおってゐる風景は苛酷ではないか
空をよぎるのは候鳥のたぐひではない
鋪路(ペイヴメント)をあゆむのはにんげんばかりではない
ユウジン きみはソドムの地の最後のひととして
あらゆる風景をみつづけなければならない
そしてゴモラの地の不幸を記憶しなければならない
きみの眼がみたものをきみの女にうませねばならない
きみの死がきみに安息をもたらすことはたしかだが
それはくらい告知でわたしを傷つけるであらう
告知はそれをうけとる者のかはからいつも無限の重荷である
この重荷をすてさるために
くろずんだ運河のほとりや
かつこうのわるいビルデイングのうら路を
わたしがあゆんでゐると仮定せよ
その季節は秋である
くらくもえてゐる風景のなかにきた秋である
わたしは愛のかけらすらなくしてしまつた
それでもやはり左右の足を交互にふんであゆまねばならないか
ユウジン きみはこたえよ
こう廃した土地で悲惨な死をうけとるまへにきみはこたへよ
世界はやがておろかな賭けごとのをはつた賭博場のやうに
焼けただれてしづかになる
きみはおろかであると信じたことのために死ぬであらう
きみの眼はちひさないばらにひつかかつてかはく
きみの眼は太陽とそのひかりを拒否しつづける
きみの眼はけつして眠らない
ユウジン それはわたしの火の秋の物語である (1951.10)
初出昭和27年六月一日『大岡山文学』(第八十八号) 逸見明
分裂病者
不安な季節が秋になる
そうしてきみのもうひとりのきみはけつしてかへつてこない
きみははやく錯覚からさめよ
きみはまだきみが女の愛をうしなつたのだとおもつてゐる
おう きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
きみはそのちひさな腕でひとりの女をではなく
ほんたうは屈辱にしづんだ風景を抱くことができるか
きみは火山のやうに躓き噴きだす全世界の革命と
それをとりまくおもたい気圧や温度を
ひとつの加担のうちにとらへることができるか
きみのもうひとりのきみはけつしてかへつてこない
かれはきみからもち逃げした
日づけのついた擬牧歌のノートと
女たちの愛ややさしさと
睡ることの安息と
秩序や神にたいする是認のこころと
狡猾なからくりのおもしろさと
ひものついた安楽と
ほとんど過去の記憶のぜんぶを
なじめなくなつたきみの風景が秋になる
きみはアジアのはてのわいせつな都会で
ほとんどあらゆる屈辱の花が女たちの慾望のあひだからひらき
街路をあゆむのを幻影のやうにみてゐる
きみは妄想と孤独とが被害となつておとづれるのをしつてゐる
きみの葬列がまへとうしろからやつてくるのを感ずる
きみは廃人の眼で
どんな憎悪のメトロポオルをも散策する
きみはちいさな恢復とちひさな信頼をひつようとしてゐると
医師どもが告げるとしても
信じなくていい
きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
にんげんのおほきな雪崩にのつてやがて冬がくる
きみの救済と治療とはそれをささえることにかかつてゐる
きみのもうひとりのきみはけつしてかへつてこない
きみはかれが衝げき器のヴオルテイジによつてかへると信ずるか
おう それを信じまい
きみの落下ときみの内閉とは全世界的なものだ
不安な秋を不安な小鳥たちがわたる
小鳥たちの無言はきみの無言をうつしてゐる
ことりたちが凄惨な空にちらばるとき
きみの精神も凄惨な未来へちらばる
あはれな不安な季節め
きみが患者としてあゆむ地球は
アジアのはてに牢獄と風てん病院をこしらへてゐる (1952.11)
初出昭和二十八年五月一日『近代文学』(第八巻第五号)
黙契
おまへのちひさな敗北は
塵芥をながしてゐるうすくらい晨の運河べりで
生活の窮乏や愛のあせた女の背信を
一瞬の泥水のやうにのみくだし
みじめな浮浪人のこころになる
たつたそれだけのことだ
けれどおまへは傷つくにちがひない
それがおまへやおまへの晨をいつそうくらくする
それがおまへの反逆の根つこになりうる
それが絶望の種子をいたるところにうえる
そんな脆いにんげんのこころに
そうしておまへがにんげんにたいして感じてゐるみじめさはほんたうだ
あらゆる正義や反逆の根つこが
あまりたしかでないといふことで
おまへの感じてゐる疑惑や傷手はほんたうだ
地球といふこのおほきな舞台で
富や安定が正義をつくりあげる
ちひさな屈辱がおほきな反抗にかはる
その手品はそれぞれ正当に存在してゐる
けれど手品師はけつしてじぶんの仕掛けに傷ついてみない
おまへは考へることをやめるな
ほとんどあらゆる正義のうつくしさが
公準から見はなされてひさしいといふこと
わたしやおまへがひとつの幸せから遠ざかるとき
幸せのはうもわたしやおまへから遠ざかる医師をもつてゐること
絶対とか神とかが
一瞬を永遠にすりかへようとする手品にすぎず
手品師の悲哀や絶望や貪慾が
そのからくりをささへてゐるのだといふこと
おう だから
おまへもわたしもあまり巧妙でない手品師のひとりだ
そうしてじぶんの演ずる手品の仕掛について
卑怯なパントマイムの俳優の仲間だ
うしろめたい謎がいつも生存の断崖でうかがつてゐる
にんげんの黙契の醜怪な貌が
あらゆる風景のうしろがはにゐる
おまへがおまへのちひさな敗北につまづく晨
わたしはコムプレツクスを病んでゐる
それがわたしたちの屈辱の季節といふものだ
どこにもあまりたしかな理由はないかとかんがえへるおまへと
どこにも値する苦悩はないとしんずるわたしと
とにかくうすくらい飢餓のなかから
それぞれの反抗を結びつけて
あゆみはじめねばならない
おまへはおまへのちひさな敗北を
どこか女たちの畑のなかに排せつする
するとまるでおまへの敗北に歪んだやうな
たんぽぽや菫の花がひらく
おまへはその一九五〇年代の治をたいせつにしなければならぬ
わたしはあらゆる黙契をほじくりかへす
地殻をとりまいてゐる靄のやうなふんゐきをはがしてあるく
おう そしてほとんどたしかに
おまへがいちれつの屈辱の花を育ててゐる
そんな風景がいつしよに露出してくる
絶望から苛酷へ
ぼくたちは肉体をなくして意志だけで生きてゐる
ぼくたちは亡霊として十一月の墓地からでてくる
ぼくたちのそらは遠くまで無言だ
ぼくたちの空のしたは遠くまで苛酷だ
うたふことのできないぼくたちの秋よ
うたふことを変へてゆくぼくたちのこころよ
ぼくたちが生きてゐることだけでぼくたちの同胞はくらい
ぼくたちが死なないことだけでぼくたちの地球は絶望的な場処だ
そうしてぼくたちは生きてゐる理由をなくしてゐることだけで
同胞と運命をつないでゐる
ぼくたちは愛をうしなつたときぼくたちの肉体をうしなつた
ぼくたちが近親憎悪を感じたとき
同胞はぼくたちの肉体を墓地に埋めた
おう いちまいの風だけが
ぼくたちの肉体に秋から冬への衣裳を着せかける
ぼくたちの肉体は風と相姦する
ふごのやうに
からすの啼きかはす墓地から
ぼくたちは亡霊となつてでてくる
ぼくたちの衣裳はかはつてゐる
ぼくたちの視る風景はくろずんでゐる
屈辱のはんぶんはぼくたちの土地から生れてそこにある
屈辱のあとのはんぶんはダビデの子から遺伝してそこにある
ぼくたちはいまもむかしのやうに労働を強ひられ
鎖をたちきるために反逆をかくまつてゐる
ぼくたちの空はやがて語りはじめ
ぼくたちの空のしたはやがて抗争するだらう
ぼくたちの都市は波うち際までせまり
ぼくたちの工場地帯は海にむかつて炭煙をはき出す
そうして生きてきたことがぼくたちを変へなかつたやうに
海はその色と運搬をつづける
ぼくたちの屈辱はみのり はじけ 枯れる
つぎにぼくたちはあかるい街々で死ぬだらう
おう 未来のむげん都市と生産地帯から
ぼくたちの屈辱とぼくたちの絶望は発掘されるか
そのときあかるさがにんげんを変へ
ぼくたちの遺伝子はぼくたちの屈辱を忘れる
ぼくたちの絶望は意味を拒絶される
反逆と加担とのちがひによつて
ぼくたちの屍はむちうたれるだらう
ふたたび死のちかくにゐる季節よ
ぼくたちの分離性の意志が塵埃にまみれて生きてゐる
労働は無言であり刑罰である
未来のことがなにひとつ視えないとき
ぼくたちの労働はしひられた墓掘りである
ぼくたちの疲労のほかにぼくたちをたしかめる手段はない
苛酷はまるで呼吸のやうに切迫する
遠くまで世界はぼくたちを檻禁してゐる
(未完)
その秋のために
まるい空がきれいに澄んでゐる
鳥が散弾のやうにぼくのはうへ落下し
いく粒かの不安にかはる
ぼくは拒絶された思想となつて
この済んだ空をかき撩さう
同胞はまだ生活のくるしさのためぼくを容れない
そうしてふたつの腕でわりのあはない困窮をうけとめてゐる
もしもぼくがおとづれてゆけば
異邦の禁制の思想のやうにものおぢしてむかへる
まるで猥画をとり出すときのやうにして
ぼくはなぜぼくの思想をひろげてみせねばならないか
ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ
きみたちはいつぱいの抹茶をぼくに施せ
ぼくはいくらかのせんべいをふところからとり出し
無言のまま聴かうではないか
この不安な秋がぼくたちに響かせるすべての音を
きみたちはからになつた食器のかちあふ音をきく
ぼくはいまも廻転してゐる重たい地球のとどろきをきく
それからぼくたちは訣れよう
ぼくたちのあひだは無事だつたのだ
そうしてぼくはいたるところで拒絶されたとおなじだ
破局のまへのくるしさがどんなにぼくたちを結びつけたとしても
ぼくたちの離散はおほく利害に依存してゐる
不安な秋のすきま風がぼくのこころをとほりぬける
ぼくは腕と足とをうごかして糧をかせぐ
ぼくのこころと肉体の消耗所は
とりもなほさず秩序の生産工場だ
この仕事場からみえるあらゆる風と炭煙のゆくへは
ほとんどぼくを不可解な不安のはうへつれてゆく
ここからはにんげんの地平線がみへない
ビルデイングやショーウヰンドがみえない
おう しかもぼくはなにも夢みはしない
ぼくを気やすい隣人とかんがへてゐる働き人よ
ぼくはきみたちに近親憎悪を感じてゐるのだ
ぼくは秩序の的であるとおなじにきみたちの敵だ
きみたちはぼくの抗争にうすら嗤ひをむくい
疲労したもの腰でドラム罐をころがしてゐる
きみたちの家庭でぼくは馬鹿の標本になり
ピンで留められる
ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない
ぼくは同胞のあひだで苦しい孤立をつづける
ぼくのあいする同胞とそのみじめな忍従の遺伝よ
ぼくを温愛でねむらせようとしても無駄だ
きみたちのすべて肯定をもとめても無駄だ
ぼくは拒絶された思想としてその意味のために生きよう
うすくらい秩序の階段を底までくだる
刑罰がをはるところでぼくは睡る
破局の予兆がきつとぼくを起しにくるから
ちひさな群への挨拶
あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
冬は背中からぼくをこごえさせるから
冬の真むかうへでてゆくために
ぼくはちひさな微温をたちきる
をはりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
ぼくががいろへほうりだされたために
地球の脳髄は弛緩してしまふ
ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させたいために
冬は女たちをとおざける
ぼくは何処までゆかうとも
第四級の風てん病院をでられない
ちひさなやさしい群よ
昨日までかなしかつた昨日までうれしかつたひとびとよ
冬は二つの極からぼくたちを緊めあげる
そうしてまだ生れないぼくたちの子供をけつして生れないやうにする
こわれやすい神経をもつたぼくの仲間よ
フロストの皮膜のしたで睡れ
そのあひだにぼくは立去らう
ぼくたちの味方は破れ
戦火が乾いた風にのつてやつてきさうだから
ちひさなやさしい群よ
苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
ぼくは何をしたらう
ぼくの脳髄はおもたく ぼくの方は疲れてゐるから
記憶といふ記憶はうつちやらなくてはいけない
みんなのやさしさといつしょに
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むかうへ
ひとりつきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
ひとりつきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずつと以前のぶんまでとりかへすために
すでにいらんくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群よ
みんなは思ひ出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇ふために
ぼくはでてゆく
無数の敵のだまん中へ
ぼくはつかれてゐる
がぼくの瞋りは無尽蔵だ
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす
だから ちひさなやさしい群よ
みんなのひとつひとつの貌よ
さやうなら
廃人の歌
ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時の街で ぼくの考へてゐることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ ぼくの休暇はもう数刻でをはる ぼくはそれを考へてゐる 明日は不眠のまま労働にでかける ぼくはぼくのこころがゐる¥ないあひだに 世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものたちは赦すものたちだ 神はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひよつとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがひない 幸せはそんなところにころがつてゐる たれがじぶんを無惨と思はないで生きえたか ぼくはいまごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうつたえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはまだとく名の背信者である ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでゐる 街は喧噪と無関心によつてぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お訣れだ
ぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしつてゐるのに 沈黙をまもつてゐるのがゆいつのとりえである患者ださうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい 生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間で ぼくの好きなやつは三人はゐる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる
死者へ瀕死者から
広場と濠ばたと街路で
銃眼に射ぬかれた死者よ
風のやうにまきあがつた塵埃につつまれて屍をよこたへた
死者よ
腐敗した都会の五月の風とおほきなフイナンツの生きた手足が
いつものはれあがつた空のしたできみたちを死におくつたのである
きみたちは死霊となつて
いまも街角で視ることができる
貨車(ワゴン)のうへの装甲車や砲が
なんの礼儀もなく疾走してゆくのを
またをはることのない群衆の帽子が
ひとつひとつビルデイングのなかに消えてゆくのを
またそのとき教会堂の鐘が鳴り
天候旗が
晴ときどき曇りの信号をあげてゐるのを
大戦のあとでじぶんの意志をつくりあげ
女たちの愛のかはりに 反逆の思想をえらんだ
ゆめは迅速で
非議はするどく
なけなしの微温をつきやぶつて
きみたちはいつてしまつた
いまも秩序のおとしあなのあひだで
きみたちは永遠に抗争する者だ
うす汚れた風がきみたちの霊を訪問する
そのあとからちんばをひいたぼくの思想がおとづれる
きみたちの霊を眠らせないために
いまもぼくたちの都会は奴隷的で
理由もなく飢えるものと
インフエリオリテイ・コムプレツクスを病むものと
分裂症的愛憎にからみあふものと
あらゆる偽まんのうへで
戦争をチヤンスのようにうかがふものとが
あひかはらずはき溜めのやうに生きてゐる
おう そしてぼくは
瀕死者であるのに死者たちの安息をもたない
奴隷的な街の腰のあたりで
運河が汚物をうかべてゐる
銀行が蟲様突起のやうに
ひとびとの秘された惨苦をつきさしてゐる
あらゆるものへの訣別を
脳髄が示唆するときでも
ぼくの不幸は風景に鎖のやうにつながれてゐる
めをさませ 死者たちよ
きみたちの憤死はいまもそのままぼくの憤死だ
午後の日ざしや街路樹の葉のかげから
魔術師のやうに明日の予感がやつてくるが
ぼくはほとんど未来といふやつに絶望だけしかみない
絶望と抗ふためにふたたび加担せよ
ぼくたちの時代に 墓地は惨嗟をあいしてゐない
巨大な一つのむくろと むすうの蘇生をのぞんでゐる
一九五二年五月の悲歌
崩れかかつたあつちこちの窓わくから
薄あをい空を視ている
円けいの荷重をかんじてゐる むすうの
にんげんの眼
信ずることにおいて過剰でありすぎたのか
ぼくの眼に訣別がくる
にんげんの秩序と愛への むすうの
訣別がくる
銃口は発しやするな
壁や踏みあらされた稗畑を破かいするな
その引金に手をかけるものが秩序であるとき
ぼくはなほちひさな歌をうたへる
ぼくはなほ悲歌をささげることができる
ぼくのゆいつであつた愛や
ぼくをそだててくれた秩序と狡智にむかつて
そうして太陽は五月のあひだを
火焔をつれてめぐり
そのしたで無数の窓のなかのぼくの窓が
黒布をたれてぼくの悲しみを証してゐる
訣別はどこにはじまつたのか
どこにかたちをあらはしたのか
そのとき五月の空は鮮やかに ビルデイングのうへで
血と蒙塵と湿つた風とを噴きあげ ぼくは
みづからに赦さうとした愛の惰性を憎んだ
萠えでる五月の街路樹よ
陰えいを匂ひでわける微かな風よ
屈折したペイヴメントのうへでぼくの予感が視る
箱詰めにあつたぼくの死とぼくの生とを
埋もれてゆくにんげんとにんげんの苦悩とを
生きのこるもおのとその寂しげな象徴とを
もしぼくたちが機械のひとつであると自分を考へうれば
重荷がぼくたちの肩から 未来の肩にうつされる
そのときのぼくたちの安堵を憎む
鉄鎖のなかにきた五月よ
ちがつた方向から志津かな風をよこしてゐる五月よ
ぼくは強ひられた路上に ぼくの影があゆむのを知つてゐる
星のうた 落下のうた 夕べの風のうた
ぼくはぼくの仲間たちに何を告げよう
かれらのゆく路にかれらの草が騒いでゐる
希望をとりかへにぼくをおとづれようとするな
いつもある者は死にあるものは生きてゐる
つまりいつさいの狡智の繁栄するところで
さびしげなことをしようとするな
鉄鎖につながれた五月よ
おもたい積載量をのせてめぐつてきた地球のうへの季節よ
草と蟲と花々のうへに
陽が照り 影が転移する
ぼくはむすうの訣別をそのうへに流す
審判
苛酷がきざみこまれた路のうへに
九月の病んだ太陽がうつる
蟻のやうにちひさなぼくたちの嫌悪が
あなぐらのそこに這ひこんでゆく
黄昏れのはうへ むすうのあなぐらのはうへ
ぼくたちの危惧とぼくたちの破局のはうへ
太陽は落ちてゆくように視える
はじめにぼくたちの路上が 羞耻が ちひさな愛が
つぎにぼくたちの意志が
かげになる
ぼくたちのさてつした魂は役割ををへる
あの悔恨に肉づけすることにつかひ果したこころを
あなぐらのそこに埋没させようとする
しづかに睡るのかあきらかに死ぬのか知らない
ぼくたちのつけくはへた風景は破壊されるのかどうか知らない
ぼくたちの根拠はしだいに荒廃し
ぼくたちの愛と非議と抗争とはみしらぬ星のしたに繋がれる
おう ぼくたちの牢獄
風が温度と気圧とをかへ
戦火と乾いた夜が風景とその視線をかへ
ぼくたちの不幸な感情が女たちのこころをかへ
夕べごとに板のうへで晩餐がひらかれる
いつせいに寂しいぼくたちの地球よ
ぼくたちはいんめつされた証拠のために
盗賊と殺人者の罪状を負はなければならない
いんめつされた証拠を書きあらためるため
ぼくたちの不在をひつようとするものがゐる
そこに奪はれたものと奪はれないものとを
空しくわけようとするぼくたちの眼が繋がれてゐる
ぼくたちは九月の地球を愛するか
おう ぼくたちはそれを愛する
ぼくたちは砲火と貨車(ワゴン)のうへの装甲車をこのむか
おう ぼくたちはそれをこのまない
ぼくたちは記憶と屈辱とになれることができるか
おう ぼくたちはそれになれることができない
ゆくところのないぼくたちの信号よ
とまどふひとびとの優しいこころよ
ぼくたちの路上はいまも見なれてゐてしかも未知だ
どんな可能もぼくたちの視てゐる風景のほかからやつてこない
どんな可能もぼくたちの生を絶ちきることなしにおとづれることはない
ぼくたちはそこで刺し殺さねばならぬ
架空のうたと架空の謀議と
たしかなぼくたちの破局とを
ぼくたちはそこで嗤はねばならぬ
フイナンツの焦慮とその行方とを
おう さびしいぼくたちの法廷
九月の太陽は無言だ
まるでぼくたちの無言のやうに
すべての小鳥たち すべての空のいろも無言だ
ぼくたちはぼくたちの病理を言葉にかへない
ぼくたちはぼくたちの病理を審判にゆだねる
なぜ 美しいものと醜いものとがわけられないか
なぜ 未来の条件のまへに現在を捨てきれないか
なぜ 愛憎をコムプレツクスによつておしつぶすか
なぜ 本能に荒涼たるくびきをかけるか
おう その威厳と法服とを歴史のたどられたプロセスからかりるだらう
ぼくたちの法定者よ
ぼくたちをさばくために嗤ふべき立法によるな
ぼくたちを砂漠ためにけちくさい倫理をもちひるな
ぼくたちはじぶんの無力に伝播性がなく
いつもひとりで窓をこじあけ
九月の空と太陽をみようとするのを知つてゐる
習慣以上のとがつた仕種で
世界のあらゆる異質の思想をののしらうとかまへてゐる
ぼくたちの苛酷な夢のはやさを知つてゐる
ぼくたちのこころはうけいれられないとき
小鳥のやうなはやさでとび去り
そのときぼくたちをとりまいてゐる微温を
つき破つてしまふのを知つてゐる
ぼくたちはすべての審判に〈否〉とこたへるきあもしれない
そうして牢獄の夜が
どんな破局の晨にかはらうとも
ぼくたちはそれに関しないと主張するかも知れない
ぼくたちは支配者からびた一文もうけとらず
もつぱら荒凉や戦火を喰べて生きてきたと主張するかもしれない
転位のための十篇
吉本隆明
昭和二十八年九月一日 私家版
註
この詩集にあつめられた作品のうち、火の秋の物語は大岡山文学八十八号に、一九五二年五月の悲歌はガリ版詩誌斜面(これはぼくの敬愛する大岡山文学の同人がつくつていた)の第二号に、分裂病者は近代文学一九五三年五月号に、それぞれ既発表のものである。詩集の刊行にゆきとどいた神経と善意とを惜みなく与へられた奥野健男安竹了和氏坂本敬親氏をはじめ、敬愛する友人諸氏につつしんで感謝する。
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